1989年に公開され、

スタジオジブリの初期作品として今なお絶大な人気を誇る『魔女の宅急便』。

原作者の角野栄子は35歳で作家デビューし、

同作を出版したのは50歳の時だった。

アニメ化された映画を初めて観た時には、

原作と大きく異なる内容に戸惑ったというが、

その後、

自身の作品が国民的・世界的な作品に成長していく様をどう感じていたのか。

物語の誕生秘話や同作が愛され続ける理由を聞いた。

『魔女の宅急便』は、

大学時代にアメリカ大使館の図書館で見た雑誌『LIFE』の写真からインスパイアを得たものであるという。

その写真に感銘を受け、

何年か後に娘が描いた魔女のイラストと結びつき、

「魔女の話を書いてみよう。

それを書けば、

空を飛べてあの風景が見られる」というアイデアが生まれた。

娘の絵と大学時代の印象的な写真が合致し、

物語は展開していった。

物語の中に登場する「宅急便」のアイデアは、

1話で決着がつけられるようにしやすいために採用された。

当時、

宅急便がヤマト運輸の商標であることを知らなかったが、

角野はそれを変えることなく1年間の連載を続けた。

映画化が決まり、

ヤマト運輸がスポンサーになったエピソードも笑い話として語られている。

『魔女の宅急便』ができた当初、

良い作品だと感じる手応えはなかったと語るが、

反響は非常に良かった。

多くの人がキキの悩みや喜びを共感し、

「自分の等身大の話だ」と感じてくれたことが、

作品の成功に繋がったという。

映画を観た時には「あれ?」と思ったものの、

宮崎駿監督のアプローチに敬意を払い、

その後の作品として高く評価している。

物語は国内外で愛され、

ドイツなどでも翻訳本が出版され、

角野栄子の作品は時代を超えて長く読まれている。