石破茂首相が10月1日で就任から1年を迎えた。在職日数は366日で、福田康夫元首相の365日を抜き、戦後就任した首相36人中通算25位となった。2024年10月1日に第102代内閣総理大臣に就任した石破氏は、納得と共感を掲げた政権運営を展開したが、2025年9月7日に退陣を表明。以降は後継者選出までの暫定政権として継続中だ。首相官邸の記録によると、第103代内閣は11月11日から発足する見込みで、石破氏の在任は約13カ月で終了する。
釜山での振り返り発言
首相は9月30日、韓国南部・釜山での外交日程中、記者団の取材に応じた。「国家、国民に対して、私どもの内閣として本当に誠心誠意、全力を尽くしてきた」と1年を総括。一方で、「評価は次の時代の方々がされるものだと思っている。ここで自慢、羅列するつもりはない」と謙虚な姿勢を示した。この発言は、退陣表明後の初の1年総括として注目を集め、SNSでは「石破氏らしい」「国民目線を感じる」との声が上がった。
退陣表明は、7月の参院選と東京都議選での自民党大敗が引き金となった。党内の退陣要求が高まり、青年局からも事実上の辞任要求が出ていた。石破氏は会見で「選挙結果に対する責任は総裁たる私にある」と述べ、米国の関税措置交渉に区切りがついた点を理由に挙げた。総裁選への出馬は否定し、「解党的な出直し」を呼びかけた。
主要政策の成果と課題
石破政権の1年は、経済再生と外交強化を軸に進んだ。主要政策として、骨太方針2025で物価上昇対策を推進。金融所得課税の強化を公約に掲げたが、就任直後の「石破ショック」で日経平均が急落したため、慎重な実施にシフトした。日銀総裁との会談で利上げを「時期尚早」と位置づけ、株価反発に寄与した。
外交面では、東南アジア歴訪を積極化。2025年1月にマレーシアとインドネシア、4月にベトナムとフィリピンを訪問し、アジア版NATO構想や日米地位協定改定を議論したが、所信表明演説では触れず、野党から批判を浴びた。能登地震・豪雨被災地視察では、激甚災害指定と予備費支出を即時決定し、財政支援を強化した。
一方、課題も多かった。2025年6月の東京都議選で自民党が過去最低の18議席に沈み、支持率低迷が続いた。高額療養費負担引き上げ方針では「キムリアやオプジーボが医療財政を圧迫」と発言し、与野党から反発を招いた。また、施政方針演説で戦後80年を強調し、国づくり基本軸として地方権限強化を訴えたが、少数与党の制約で「石破らしさ」を失ったとの党内評価もある。
後継者選出と政権移行の展望は
与党は石破氏の後継を選ぶ自民党総裁選を、10月14日以降の臨時国会で実施する方向だ。党内では河野太郎氏や高市早苗氏の名前が浮上し、野党との連立拡大も視野に入る。石破氏は退陣まで「国民の責任を果たす」と強調。BBCの分析では、5年で4人目の首相交代が日本政治の不安定さを象徴すると指摘されている。後任政権は、経済逆風と米中摩擦下での安定運営が求められる。